解脱ブログ

働くアラフォーマザーが全力で解脱してみた

自己と虚構

鈴木祐さん著者の「無」

次の章のメモです。

自己とは何か。

この章で驚いたのは、「脳が事前に物語を作り出している」ということでした。思い込みや、出来事の見方が人によって違うこと、なぜボールを受け取れるのか、なぜ軌道を予測できるのか。

 

ーーー自己ーーー

野生の動物は、出来事に対して苦の感情をあらわすが、ひきずってこじらせることはない。(チンパンジーのレオの事例、哺乳類の事例)

動物は現在のみを生きている。未来や過去を憂うことがない。

 

ネガティブな感情=ニーズが満たされない状態に=不足を知らせる

 

一の矢は避けられない。二の矢を避ける。悩みをこじらせないようにすると苦しみは最小限になる。

怒り(一の矢)は6秒しか持続しない。前頭葉が起動するまで6秒、そこから10〜15分もたてばアドレナリンやノルアドレナリンの影響はほとんどなくなる。

3分間のテトリスで食の誘惑、渇望レベル24%低下。

欲しいもの現れる→ドーパミン分泌→欲望をかきたてる

ドーパミンの影響力は10分前後。脳の注意をテトリスにそらすことで、渇望に流されず自己コントロールできる。一の矢で苦しみを終わらせる。

 

自己とは?

自分が他者とは異なる存在であり、常に同じ人間であるという実感。(似た人がいても他人であるとか、過去と見た目が変わっても自分であると分かる)

 

苦しみが長引く場面には自己が関わっている。

私が、私のせいで…など。

私はどんな人間なんだろう、自分らしく生きるにはという考えも不安や抑うつ傾向

自己注目はネガティブに向きやすい。

 

中島敦「三月記」

 

40万年前のホモエレクトスは30から50人単位の集団をやめて150から200人の集団で暮らすようになった

安全も増したが、問題も起きた。

自己はツールの寄せ集め(生存ツール、脅威に応じて発動する)

没入感、フロー状態やリラックス状態にいる時、自己は消える。であれば鍛錬による自己の操作が可能。

 

ーーー虚構ーーー

 

周りの情報を各器官がひろう→情報を脳に送る→脳が情報を処理して最終判断する

状況の展開について脳が事前に物語を作る→各器官が受け取った情報を脳が物語と比べる→脳の物語と違う情報だけ修正して「現実」を作る

 

このシュミレートする力があるから、ボールの軌道を読んで打ち返せるし、向かってくる車を避けられる。

いつもと同じ、と推測して過去の情報を使いまわしながら行動すると、脳のエネルギーを浪費しない。

現実の構築に使われた外界のデータはごくわずか(必要なものにフォーカスするので)

脳が作り出した世界を生きていると言える。

 

過去に得た情報を蓄積し、この人は見た目がこうだからこんな人だろう。この時はこうする方が良さそうだ。

そのストーリーラインが無難か否か→認知の歪みとか言われるもの??

 

物語によって自己(ツール)も作られる(私はこんな人間だ。こんなことをしてきた。など)

緊張による発汗→感情のセンサー

心と体は繋がっているから、体も整える必要あり。

 

環境が変われば自己も変わる

物語は環境によって変わるから→障害は人ではなく環境にある、という考えに似てる?

ありのまま、とか自分らしさは環境によって変わるから、自分らしさを探すのは難しい。

自己の感覚そのものが物語と物語の間に生まれる。ドーナツの穴は食べる事はできない。

 

脳は事実より物語を優先する。

物語を作る神経回路の方が多い。自分は正しいという思い込みなど。

脳は騙されやすい→柔軟とも言える

柔軟性を利用する。

 

ーーーー感想ーーーーー

 

脳について、思い当たるところがたくさんありました。

私も娘たちも、ルーティンの中にいる時はそれほど混乱しません。学校に時間割があるように、朝も、帰ってから、曜日や体調によって多少の前後や量の変化はあるものの、ほぼ同じ事(宿題、家事、明日の準備、風呂、晩ごはんなど)を就寝までに終わらせると、安心して眠れます。

夜に宿題ができなかったり、洗濯物が出来ていないと「朝はこれとこれをして…」と、いつもの事にプラスして持ち越された問題をクリアしなければいけません。少しドキドキしながら寝ます。

こんなふうに娘が大きくなってきた今は、持ち越された問題が少なくなり、育児が大きなストレスになることも少なくなりました。

しかし娘が赤ちゃんの頃は、ルーティン通りに行くことなどほとんどありませんでした。

毎日クリアできない問題(山積みの洗濯物、洗ってない皿など)が積み上がって行くたびに「今日、私何してたんだろう。授乳しかしてない。」と虚しさを感じたものでした。(これも物語の捏造かもしれませんね)

長女が赤ちゃんのときは分からないことの連続。自分の過去の情報を参照しても、育てる側の子育ての情報などあるはずもなく混乱していました。

次女の場合は長女が赤ちゃの頃の思い出や、読んできた育児本、周りの人から頂いた助言などの情報があります。それを元に「こんな時はこうする方が良いかもしれない」と、脳で物語を使って、選択肢の中から行動できました。少ないながらも経験がいかされ、良い結果につながったように思います。 

 

自己が虚構であるというのも、ドーナツの穴の例えが分かりやすかったです。穴は確かに存在するけれど、周りの物がなくなった途端にただの空間になります。環境によって、自分のイメージが変わることもは、過去の経験を思い出して納得できる話でした。

ガラスは、壁や窓枠に囲まれている時、窓ですが、それが無ければガラスです。外交的なグループに属していた時は「私も外交的かもしれない」という自己イメージをもち、内向的なグループに属していた時は「この人達に共感できるということは、私にも内向的なところがあるのかも」と考えていました。また、朱に交われば赤くなる、孟母三遷の教えなどの言葉を思い出しました。

ユダヤ人大富豪の教えの人間関係の中にも、2人の人間がいれば、どちらかが対極の性質になるという人間関係のマトリックスがあったことも。

そうなると、以前調べた自分の強みというのも、やはり自分の脳が作り出した思い込みであり、信じ込みすぎるのも良くないのかと思いはじめました。

「私って○○なので…」と安易に言うのをやめよう、と恥ずかしくなりました。確固たる自分なんて、無いことが分かりました。

 

とりとめもない内容でしたが、毎日の風景がガラッと変わるような、環境のありがたさに改めて気付く、目から鱗の章でした。