教養として学んでおきたい仏教
という仏教の考え方がすごく気になっていてそこから仏教にも興味をもっていました。
何かを信じたら救われるとは思っていなくて人間の苦しみの起源に興味があります。(語弊がすごい)
仏教には色んな宗派があるけど
何を基準として見たら苦しみが無くなるの?
苦しみをなくしたいー‼️
と思いながら読んでいると
「重要なのは教えではなく悟り」と書かれていました。渋い…❗️結局は自分がどう行動するか、ですね。
八正道
中道の実践
正しさとか、ちょうど良さって人によって違うし、場合によっても違う。一方で戒律は割と分かりやすくて
殺さない、盗まない、淫らなことしない、嘘言わない、お酒飲まない(五戒)
法律を破らないことが基本ですね。当たり前だけど。
中道ということは、やりすぎない事。過ぎたるは及ばざるが如し。寝過ぎない、食べ過ぎない、家事しすぎない、残業しすぎない、片付けすぎない。なんでもやり過ぎると、毒になったり、不便だったりしそうです。
自分の中で「これ以上は無理」というラインを作るのって、やらない経験とやりすぎた経験が無いと難しいのではないでしょうか。ある程度の失敗を経験しないと、加減が分からないというのは、身に覚えがありますが…
難しい言葉が多いので
調べながら読みます。
八正道とは
人生観、意欲、言葉、行い、生活、努力、気遣い、精神統一
この八つを正すことで悟りが開ける。
正しさについては、価値観の違いもあるので、この場合の「正」というのは中道をさすのかな?と解釈しました。
四諦(四つの聖なる真理)というのもあって
「苦悩」
人生は思い通りにいかないから苦しいこと
「苦悩の起源」
その苦しみは自分の欲から生まれてること
「苦悩の超克」
欲望を断じて解脱すること
「それに至る道」
八正道のように行いを正すこと
を意味する。
うーん、欲があるから苦しむようです。私が陥りがちな考えに、人の役に立ちたいということがあります。これも欲なのかもしれません。
思ったように貢献できてないと、自分では力及ばずだった…と苦しむ事がしばしば。良かれと思ってした事が裏目に出ると、ダメージが大きい。
余計なお世話になってないかは気になります。
朝、「仕事行くのやだなぁ。上手くできるかなぁ。」と不安になるのも、上手くやりたいという欲があることに気付きました。
それに気づいただけでも、何だかふっと肩の力が抜けました。目の前にある仕事を愚直に積み重ねることでしか、身に付かなかったことってたくさんありました。
職場環境は恵まれていて、みんな良い人だからこそ、迷惑かけたくない…って思ってしまうんですが、この考えこそ妄想でした。成長を見守って下さる周りの同僚や上司のありがたさを感じながら、今日も色んな刺激を受けて、心の筋トレをさせてもらいます。ん?欲だけでなく、妄想にも苦しむようです。そもそも、肉食べてるし生き物に迷惑かけてますね。
縁起説
苦悩が起きる過程←ここ‼️気になる。
無明→行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死と進む。
そもそも無知だから老いて死ぬ。無明がなければ老死もない。ということのようです。
一方で般若心経によると
縁起説なんてものもない。
般若心経は、実体がないものにとらわれないことで煩悩を消す、という方法論でした。
中国を経由したから複雑で高度になったのだとか。
妄想とか余計な心配事とか、そんなものないよってことでしょうか。。
人間の根本的な苦しみ
今や医療の発達によって長く生きる事が苦しみになっていたりする。
どう生きてどう死ぬかは昔と価値観が違う。
ということも書かれていました。
うーん、縁起説がないなら価値観もないのでは。。
分からない。
この分からなさを抱えたまま、興味が原始仏教に移っていきました。
また何か良い本に出会えるでしょう。