執着しないこと2
モノへのこだわりの捨て方
執着の捨て方薄め方
全部レンタルだと思う。いつかは返すもの。
レンタルは十分使わせてもらって、用が済んだら返すもの。使うから幸せになれる。ため込んで奪われまいとするのは苦しい。
ケチや物惜しみ→排他的で暗い思考
節約→自分にとって必要なだけ使う
周りの人の分もあるかな、という考え。
お金の使い方
収入の半分は投資(株や不動産ではなく、勉強や習い事、仕事に役立つこと)
残り四分の一は生活に(家族の命を守るため)
残りは貯金に(無常だから何があるか分からないので備える)
自分が死んだら財産は寄付。残すのは子どものためにならない。
死ぬまでに心を汚さず使い切り、人に借りを残さず死ぬ。⭕️
知識も傲慢や優柔不断のたねになる。
知識がない分シンプルに喜べることもある。添加物とか気になる…と思わない。ストレスが少ない。
知識とはその時に左右される。一時的なもの。相対的で不確かなもの。
必要と思ったことだけ残せばよい。
過去と未来の捨て方
今の妄想(主観)から抜け出すには
怒りがある。とか、彼女は怒っている。と実況する。
過去と未来は?
過去は主観によって脚色される。思い出すなら正確に。それは難しいので過去は思い出さないように。
前にこれで失敗したから、次はこうしようと思ってもあまり上手くいかない。同じように見えても新しい出来事や人(同一人物でも)になっている。その場での対応が必要。
後悔→くよくよするだけ❌暗くなる
懺悔→次は同じ間違いを繰り返さないと一歩踏み出すこと⭕️前進する
無常だからこそ、変われる。
失敗してもくじけてはもったいない。変わるのだから。
未来もまだ存在してない。予測してもそうなるとは限らない。先の心配は妄想。
過去のデータをもとに予想するが、その過去も妄想だから当たらない。
目の前のことに正しい判断をするのが大切。
今何ができるか。(←主観をなくせば見えてくる。向かってくるボールを咄嗟に避けるように。反射神経?)今を大切に生きる。
⭕️バレたらやばいことをしない
中道とは真ん中の道のことじゃない←これ‼️分からなかったこと‼️
的中とか、どストライクの中。これ以外に方法はないと言えるやり方。
褒めすぎる人も批判しすぎる人も友だちではない
では、適度に褒め、適度に批判する人がよい?
いや、質が悪ければ適当に褒め、適当に批判する人になる。真の友達とは言えない。
友達のことを真剣に心配し、幸福を願う人を真の友達という。
真ん中ではなくさらに上をいく、第3の道。
未来など妄想せず、今できるベストを尽くす。
将来の夢はいらない。今を楽しむ、今を充実させる、今を喜んで生きる、今を思う存分に。それが穏やかな明るい人生。
病老死への不安の捨て方
その年齢に応じた生きる楽しみがあるはず。老いるのではなく、死ぬまで成長すると捉える。
病気=メンテナンスしないと死ぬ状態。
呼吸、発汗はメンテナンスなので、いつも死にそうな状態。もともと壊れてる。
心はエネルギー、体は機械。心が落ち込むと力出ない。病気になっても、心は落ち込まないのが正しい生き方。
執着があるから死が怖い。
身近な人がなくなったら、悲しくても自分の義務を果たす。今できるベストを尽くす。そして、その人に報いるように生きる。
笑いでエネルギーを満たす
生命力(バッテリー)は何歳でもチャージできる。
暗くてもニコニコしておく。笑顔が大切。
何があっても笑っておこう!それが幸せへの道。
ーーーーーここから感想ーーーーー
最後まで読んで、
執着を捨てるには
⭕️主観(妄想)を捨てて客観視する
⭕️バレたらやばいことはしない
⭕️今を充実させる
⭕️笑っておく
なのかなぁ…と感じました。
このブログをまとめながら、1週間実践しました。
間違いを素直に認めて謝り、過去にくよくよせず、未来を心配しすぎず、今できることや義務に真剣に取り組み、笑顔を絶やさないでユーモアを忘れずにいようと努めました。
もちろんがっかりしたり、恥ずかしい思いをすることもありましたが、「彼女はこんなことしてる。」と実況し、後悔を引きずらなかった事で、軽い気持ちで「次はこうしてみようかな」と思えました。
長くても後60年くらいの人生。何にもこだわらず、明るい気持ちで過ごせたらいいです。
今まで違う見方をしていた仏教の言葉も、丁寧に解説されていて、腑に落ち、分かりやすかったです。
長老の他の本も読みたくなりました。
また、この1週間、
無常だという前提で物事を見ると、
ダイエットにも良い心理効果がありました。
いつまでも同じ体型でいることはできない。と理解すれば若い時と比べて、体型が崩れるのは当たり前。それで嘆いても(後悔)どうにもならない。次の一手を考える。(前進)
筋力は何歳でもつけられるから、筋トレをする。
そう決意できました。
今までは食べる量や時間を決めて、それが守れた守れなかったと言って一喜一憂していたのが、とても愚かに感じました。
家事や子育てにも良い影響がありました。
毎日安定して家事をし、みんなのリズムを崩さないように。子どものお手本になれるような人格の母であるように。心のどこかで思っていたことです。
そうなると、疲れてる時には思うようにできず、焦ることもありました。
しかし、同じ家事なんて一つもないと思えると、毎日新しい事への挑戦です。上手くいかなくて当たり前、と思えるようになりました。失敗を引きずって、自分はダメだと思うことが減りました。次はこうする。と思うだけです。
子どもも日々変わります。それを観察して、今の娘に必要なことは何か見るようになりました。将来の夢も娘に聞かなくなりました。宿題するときは宿題に集中し、あそぶときには思い切りあそぶ。
やりきった後、娘の安心した表情を見て、今に集中するとこの子も安心するんだなと思いました。
でも、まだ分からないことがあります。
慈しむ心はどうやって育てたら良いですか?
まだ全ての生き物に対しての態度が分からないです。
この答えもいつか出ると思います。